父、北義人のエピソード集

 

体は小さいが、度胸の人であった。又その分おせっかいやきでもあった。

 

エピソード・ワン

 昭和30年代前半、職場(尼崎信用金庫)の後輩たちと大阪城公園に行った時の事である。大阪城の入り口のチケット売り場で外人の観光客が3人何やら困った様子で話し合っている。それを見ていた商業学校出の父は関西の一流私大卒の後輩達に「おそらく、入場料がわかれへんので難儀してるんやろ。お前らちょっと行って、英語で教えてやれや」と言うと、後輩たちはそれぞれ「私、英語話すの全くあきまへんね」と言ってしり込みしてしまう。

 「しょうがないなあ、お前ら大学で何習ってきたんや」と言って一人で外人達のところへスタスタ行って、二言三言話すと外人たちはすぐにわかったようで手を振って父に礼を言っている。戻ってきた父に後輩たちは「北はん、今英語で何と言ったんですか?」と尋ねると、父は「いや、『ワンマン、テンエン』と言っただけや」と言った。後輩たちはあっけにとられていたそうである。

 

エピソード・ツー

 昭和30年代後半、職場の仲間たちと琵琶湖のマイアミビーチへ湖水浴に行った。その時の出来事である。中学生であった私も同行していたので、はっきりと記憶がある。

 琵琶湖の砂浜の岸辺で泳いでいると、船外機エンジンの小型モーターボートに乗った若者が岸の近くでボートの練習をしている。浜辺に陣取った我々一行の中から「あのボート危ないねえ。もっと沖に行ってくれへんかしら」と言う声もあがっていた。しかし見物人が多いほうが嬉しいのか、あるいは沖へ出るのが心細いのか、一向に沖へ出る気配は見せず、湖水浴客が居る浜辺付近をスピードを落とさずに行ったり来たりしていた。そうこうするうちに岸からわずか450メートルはなれたところでエンジンがストップ。

若者は最初ボートに座って、スターターロープを引っぱってエンジンスタートを試みていたのであるが、なかなかエンジンがかからない。ロープを引くたびに「プルル、プルル」と言う音がむなしく聞こえるだけである。座っていてはスターターのロープを引きにくいのか、とうとうボートの上に立ち上って勢いよくスターターのロープを引き始めた。

 浜辺の陣取っていた我らのグループは全員それを見ていて「なかなかエンジンがかからへんねえ」とか「もうこのままエンジンがかからない方がええんやけどなあ」とか好きなことを言っていたが、父が「これでエンジンがかかると兄ちゃん、ボートから落ちよるで」と言ったその瞬間!見事エンジンは再スタート。ボートはウォーンと言う音を立てて加速を始めます。

 急にエンジンが始動したため、若者は体勢を立て直す間もなくスローモーションのように湖面に倒れ込んで行ったのである。ボートはフルスロットルで沖に向かってまっしぐら。無人のボートが湖水浴客の方へ突っ込んでいればスクリューが凶器となり「湖水を血潮で染める大惨劇」になっていたところである。

 湖面に落ちた若者はすぐに岸に泳ぎついたものの、はるか水平線近くをまだ沖に向かって疾走して行くボートを見て、呆然となすすべもなく突っ立っている。もし沖合で落水していれば、岸にたどり着けずに水死していたかもしれないのでショックも大きいようである。

見ていたご一行様は「やったあ!」と不謹慎にも大喜びである。又、「あれだけ、しょげているっちゅう事は、きっと借りてきたボートやで」とか好き勝手なことを言っている。

 とうとうボートは、はるか水平線の彼方に消えてしまい、その後ブーン、プスプスと言う音だけを残して静かになってしまった。どうやら水平線の向こう側で燃料を使い果たし、エンジンが止まった様である。湖面を急に静寂が覆い、わずかに聞こえる湖水浴客の歓声が、現実世界の出来事である事を思い起こさせるようであった。若者はまだ茫然自失で突っ立ったままである。

 父は腕時計を指差して「走っていた時間はわずか2分ぐらいや、時速50kmで行ったとしても1.5キロぐらいしか沖に行ってへん。音が聞こえるぐらいやから大した事はないで。手こぎの貸しボートを借りて取りに行っても、ボートが時速2kmとして往復1時間半もあれば帰って来れるで」と言った。周りの人々は「北はん、それは無理とちゃいまっか、まったくここから見えませんで」と言って親父の意見に賛成する人はいなかった。

父は「貸しボートで取りに行くように言ってきたる」と言って立ち上り、周りの人から「そんなん、ほっといたらええのに」と言われながらも、若者のところに行って自分の腕時計を指差しながらあれやこれや説得しだした。

 はじめ聞き入れようとしなかった若者もほかに手立てがないのでしぶしぶ親父の意見を聞き入れたようである。貸しボートを借りると沖へ向かって一人で漕ぎ出したのである。

 みんなボートのことはすっかり忘れて浜辺で楽しく遊んでいると、モーターボートを牽引して若者が貸しボートで浜辺にたどり着いた。彼が出発してから1時間ちょっとであった。