北 義人 略年譜

大正5年(1916)    0

 兵庫県武庫郡大庄村西新田字平左衛門に生れる

昭和9年(1934)    17

 中学校の国語教師菊地庫朗先生から宿題の歌を誉められ歌集「福島の家」を頂く。感激し、以来歌にとりつかれる。

昭和13年(1934)   22

 並木秋人「走火」に入社。十二月二十三日走火尼崎支社結成歌会に出席。秋人の講和に感動する。

昭和14年(1939)   23

 中隊長代理勤務の教習を終えて西下する高原博を、宇都宮立和と駅のホームに出迎える。五十年に亘る交流の最初の会いであった。

昭和15年(1940)   24

 大阪基督教青年会学校部文芸部長「東方歌人」発行に関わる

昭和21年(1946)   30

 尼崎文化協会評議員 第一回釋典祭

昭和23年(1948)   32

 尼崎歌人連盟結成(尼崎歌人クラブと改称)

第二回釋典祭 九月短歌入門講座開催

昭和24年(1949)   33

 尼崎歌人連盟 代表

 「短歌新潮」同人

昭和27年(1952)   36

 並木秋人「短歌個性」創刊

昭和34年(1959)   43

 尼崎短歌会を結成「ささはら」創刊

昭和47年(1972)   56

 高原博「短歌個性」復刊 短歌個性阪神支社を復活

昭和48年(1973)   57

荒井文 中畑信雄による「木芽」創刊

昭和55年(1980)   64

 尼崎市文化功労賞を受く

昭和62年(1989)   71

 高原博歿「短歌個性」終刊

昭和63年(1988)   72

 尼崎在住の旧短歌個性会員による「短歌個性阪神」を創刊

平成2年(1990)    74

 兵庫県ともしびの賞を受く

 十月国立刀根山病院に転院

 肺癌と判明

平成3年(1991)    75

 放射線治療により一応回復したが五月に再発、抗癌剤による治療が続く。 強い意志力で裏山に出てリハビリに励んだ。宮井先生の慎重で時宣を得た治療のもとに長い入院生活も決して暗いものではなかった。

平成四年(1992)    76

 病状の安定を待って、三月、一年ぶりに退院を許される。機会を失わぬようにとの宮井先生の御配慮であった。三女が里帰りし出産。日毎に成長する孫の生命力に力付けられたかのような日々を送る。近くの診療所で若い先生方のご指導でリハビリに励む。車椅子からも離れ、刀根山への通院も楽しいものとなった。体調の良い時は歌会にも出席した。抗癌剤の副作用による苦痛は辛いものであったが心穏やかな一年であった。

平成五年(1993)    76

 体力の低下が目に立つようになり、四月、入院検査をし、病状の進行をくいとめる手立てはないということで直ぐに退院する。終焉までの秒を読むような日々にも、歌会に出席し、人を訪ね、生れ育った武庫川や丸島の海岸を次女の車で走った。長女の誘いに応じ、新緑の園に憩い、食事を共にしたのは死の七日前であった。眠りについたのは「俺の人生もなかなかに面白かった」そう述懐した数時間の後であった。

531日午前130分 死去76

 

短歌個性阪神第63号北義人追悼号より