日本のMAスタジオの変遷と将来

株式会社 スタジオ イクイプメント

北 康雄

 

 

「MA」の語源はどこから来ているのか?

 私がレコーディングスタジオの配線工事に前明け暮れていた1985年頃「MAスタジオの配線工事をやってくれない?」と頼まれたとき、私は「MAスタジオってどんなスタジオ?、MAって何?」と思わず聞いてしまった。聞くところによるとMAスタジオとは、ビデオ映像に音声を張りつけるための音声編集スタジオで、MAとはマルチオーディオの略称との事で、数年前までは2インチ白黒VTRに4チャンネルの音声トラックを持った多チャンネル音声トラックVTR(池上通信機製)を使用して編集作業を行なっていたそうだ。その音声多チャンネルVTRがMAVTRと呼ばれていたことから、MAVTRを使用して音声を映像に張りつける編集室をMA室と呼んでいたそうである。
 そう言えば独立して間もないころ、音の仕事だけでは食べていけないのでコンプレッサーのメンテナンス会社のアルバイトを半年ほど行っていた。当時2インチVTRはバーチカルスキャンヘッドのエアベアリングを圧縮空気で働かせるためエアーコンプレッサを必要としていた。その様な関係で私は放送局のVTRルームにしばし出入りしていた。その時、他のVTRはすべてカラーなのに白黒のVTRがあり、しかも激しく早送り巻き戻しを繰り返して何かの編集作業を行なっているVTRを見たことがあった。どうもそれがMAVTRらしいのだが当時は、早送り巻き戻しの時の音声が全くミュートされず「キュルキュルとずいぶんうるさい機械だ」ぐらいの印象しかなかった。しかしそれが一つの日本語を作った名機であったのだ。
 海外ではMA編集の事をオーディオフォロウズビデオあるいはオーディオスイートニングと言っているので、海外で「エムエー ステューディオ」と言っても通じないそうである。

 

画期的であったマルチトラックオーディオ

 多数の音素材を同時にミックスしてビデオの音声トラックに一気に録音する場合、複数のテープレコーダーを次々にタイミング良く再生して取り込んで行くのだが、1台でも再生のタイミングを狂わせてしまうと、音の切れ目まで戻してもう一度やり直しとなる。音素材がクロスしていたり、バックに長いBGMがとぎれずに入っていたりすると最悪である。分野は違うのだが、販促用ナレーションテープの音声編集の仕事をしていたとき多数のオープンテープレコーダーの頭出しを行ない、タイミング良く再生してあともう少しで完成となり最後の1曲のところで、プレイボタンを押すつもりが早送りボタンを押してしまい、音が重ならないところまでバックしてまたやり直しとなってしまったことが多々あった。その時には、「音楽録音の分野で使われ始めたマルチトラックレコーダーがあればこんな苦労はしないのに」と思ったものだ。
 同様な事が映像への音声張りつけ編集作業にも言えて、音声トラックがマルチチャンネル化することによって編集作業の効率の向上に寄与したものと思われる。また当時はビデオレコーダーと音声テープレコーダーの同期を取るシンクロナイザーが一般化しておらず1台のVTRで映像と音声4チャンネルが同期して動くことはまさに画期的なことであったと考えられる。

 

マルチトラックレコーダーの出現

 音楽録音の分野ではマルチトラックレコーダーが出現する。音楽録音の世界では、レコードがモノラルからステレオになると同時に、テープレコーダーもモノトラックから2トラックへ移行した。そしてボーカルも含めてステレオで1発録りしていたのがボーカルだけ別のトラックに録音するようになり1/2インチ3トラック録音が出現する。ボーカルを2トラック取るため1/2インチ4トラックとなり、またたくまに1インチ8チャンネル、2インチ16チャンネルへと多チャンネル化した。
 マルチレコーダーが多チャンネル化した背景として、ボーカルのトラックを多数取る必要がある事、ミュージシャンのスケジューリングの問題、緻密なバランスで仕上げるためにできる限り各楽器やパートを独立させてマルチレコーダーに収録したい事などが考えられる。 多チャンネル化の要望はさらに強くなり16トラックでもチャンネルが足りなくなり、2インチテープに24トラック割り振った、24チャンネルレコーダーが出現した。
 2インチ24チャンネルで打ち止めかと思われた多チャンネル化だが、シンクロナイザーの出現によってアナログマルチ2台の同期運転や24チャンネルデジタルマルチレコーダーとの同期運転が可能となり、音楽録音の分野では多チャンネル化が続く事になる。

 

シンクロナイザーの出現と音声の多チャンネル化

 オーディオキネティックス社やアダムスミス社からシンクロナイザーが発売されたことによって、ビデオレコーダーとアナログマルチトラックレコーダーとの同期運転が可能となった。そのためオーディオトラックのチャンネル数も4チャンネルから8、16チャンネルさらに24チャンネルへと、マルチレコーダーが多チャンネル化して行くのにあわせて多チャンネル化していった。これによってチャンネルを多く占有することで扱いが困難であったステレオの音素材でも多数の素材が楽に収録できる様になった。シンクロナイザーが出現することによってビデオテープに無理に多チャンネルの音声を記録する必要がなくなり、音楽録音分野で発展していったアナログマルチレコーダーと組み合わせることにより、必要な音声トラックのチャンネル数を自由に選択することができるようになった。

 

シンクロナイザーとイベントスタート

 シンクロナイザーの機能のの一つにイベントスタート機能がある。イベントスタートとはVTR信号に記録されたタイムコード信号を読み取り、そのタイムコードが指定された時刻をカウントすると自動的に2トラックテープレコーダーやレコードプレヤーをスタートさせる機能である。マルチトラックレコーダーが採用されてからは、音素材録り込みのための2トラックレコーダーやレコードプレヤー等をマルチのトラックごとに確実にスタートさせればよいので手動でも良いはずである。しかし日本のMA作業の場合、非常に短時間に仕上げなければならないので、素材録り込みの時から確実にしかも一発で決めなければならない。そのためVTRをプレビューしたときに音声を張りつける位置(キューポイント)を決めておき、マルチレコーダーに録り込むときに2トラックレコーダーやプレヤーをタイムコードに合わせて確実にスタートさせる。又イベントスタートが働く部分が近づいていることを「効果屋さん」やミキサーに知らせるためのイベントスタートカウントダウン表示装置もよく使われている。

 

制御系の複雑なMAスタジオ

 マルチレコーダーとミキシングコンソールがそろっていればMAスタジオになるかと言えばそう言うわけには行かない。他にもMAスタジオに必要な機能は色々とあるのである。例えばビデオレコーダーとマルチレコーダーの同期を取るシンクロナイザー、ハウスシンクに同期したSMPTEタイムコード信号を得るためのタイムコードジェネレーター、ビデオレコーダーを静止状態にした時に正確な位置を検出するためのVITCリーダー、ビデオ映像再生時にタイムコードをビデオ映像にスーパーインポーズして表示させるキャラクターインサーター、タイムコード信号にあわせて次々と仕込み用の2トラックマシンをスタートさせるイベントスターター、イベントスタートのタイミングを表示するカウントダウン表示装置、ナレーターに話し始めるきっかけを知らせるキューライト表示装置、ナレーターがマイクのON/OFFをコントロールするためのカフコントロールユニット、ブース内部のナレーターや声優さんとディレクターやミキサーとの円滑なコミュニケーションを計るためのトークバックシステムやリターントークバックシステムなど数え上げれば切りがないほどの付加機能が必要である。これらの付加機能は標準的なシンクロナイザーやミキシングコンソールにすべて付属しているわけではないので必要ならば特注製作したりミキシングコンソールを改造して必要な機能を確保する。MAスタジオを施工する場合これらの機能を得るための制御系の工事は大変面倒であるが、MAスタジオの使い勝手を左右することから手を抜くわけには行かないのである。

 

一世を風靡したSSLシンクパッケージ

 前記のようにMAスタジオでは総合的にいろんな機能が必要である。英国のソリッドステートロジック社のミキシングコンソールはワンマンオペレーションを強く意識したレコーディングコンソールで音楽録音の世界では定番モデルとなっていた。そのSSL社からシンクパッケージと呼ばれるMAスタジオ向けのシステムが発表された。その内容はミキシングコンソール中央のセンターセクションにシンクロナイザーのコントロール機能とイベント機能のコントローラーを配し、SSLコンソールの持つフェーダーオートメーション、オーディオリモート(マルチレコーダーの個別のチャンネルを録音可能にするリモートコントロール)機能などを併せてMA作業を合理的にワンマンで行なうことが可能となるシステムである。当初は使用上不便なところも一部あったのだがソニーがSSLコンソールとの接続を確実に行なうためのIFを開発するなど周辺環境が整備されて操作性が向上し、ツーマンオペレーションも可能となってかなりの納入実績を上げていた。その操作性、合理性はDAWが普及した今日でもDAWと組み合わせてMAシステムの核となるミキシングデスクとして今も人気がある。

 

なかなか浸透しなかったDAW

 音声信号をデジタル化しハードディスクに蓄えてから音声スタートのタイミングや音声レベルのコントロールや各種音声をミックスする等の編集作業を行なう機器をハードディスクレコーダー又はデジタルオーディオワークステーションと呼んでいるが、現在は単なるデジタルレコーダーだけの機能ではなく総合的なオーディオ編集機としての機能が付加されていることから、現在ではDAW(デジタルオーディオワークステーション)と呼ばれることが多くなった。DAWはワンマンで音声構成からミックスまでを行なう場合には圧倒的な便利さを持っているが日本ではなかなか普及しなかった。かえって地方の放送局やプロダクションでの採用が速かったような気がする。その原因としてプロの音響効果専門集団である「効果屋さん」の存在が掲げられる。「効果屋さん」は映像にあった音楽や効果音をたちどころに見つけテープレコーダーの再生レベルコントローラーを加減して演出を加える。滝の音を録音して再生すると単なるホワイトノイズにしか聞こえない。効果屋さんが演出を加えると画面にぴったり合って滝の音に聞こえるようになる。又映像に合った音楽も彼らの持つ豊富なライブラリーと経験から選んでくれるため、選曲であれこれ迷わずにすむ。とにかく、豊富な経験と熟練のテクニックを駆使したトータルスピードの速さがDAWの必要性を感じさせなかったわけである。
 一方地方の放送局やプロダクションでは音響担当者が音声の構成から仕上げまでを一人で担当しなければならない。このような場合はDAWを使用する事によって能率を上げることができる。当初DAWは都内のMAスタジオでは補助的に使われていたが、使ってみて判る編集スピードの速さや、意外と操作が簡単な事などが知られるようになってくると徐々にMAスタジオの中核機として考えられるようになってきた。

 

音声信号のやり取りに悩むフルデジタルシステム

 機器のデジタル化の波はミキシングコンソールの分野まで押し寄せMA室のミキシングコンソールにもデジタルコンソールが登場してきた。デジタルコンソールは設定をすべて記憶することができ、それをタイムコードにしたがって呼び戻すことができる。そればかりでなくコンソールの構成も何パターンか記憶することができる。担当者の最も使い勝手のよいコンフィグレーション(構成)を担当者ごとに記憶させておくことも可能である。コンソールがデジタルになると音声信号のやり取りもデジタル信号でやり取りしたくなるのが人情であるが、デジタルでの音声信号のやり取りには苦労しているようだ。デジタル音声の場合、サンプリング周波数が完全に一致していないと(同期していないと)音声がミュートされたりノイズが混入したりするが、この同期をとる作業がなかなか面倒である。デジタル機器の同期入力が内部か外部か、外部であればビデオかワードシンクかタイムコードかの設定の表示が判りにくい機器が多く、設定メニューの階層の深いところまで降りて行かないと判らない場合が多いようである。又29.97フレーム/秒のビデオ同期を掛けた場合FS(サンプリング周波数)が0.1%下がってしまう機器や自動補正されてしまう機器などまちまちで混乱に余計に拍車をかけている。
 ハウスシンクに同期したワードシンクですべてのデジタル機器に統一的に同期をとることによりデジタル信号による音声のやり取りの信頼性は向上しているが、電源の入り切りやメンテナンスなどの時に設定が変わってしまい、設定がどこで狂ったかを調べるのに時間を取られたりしている。そこで編集のスピードやコンソールのフルオートメーション、構成の保存、等のデジタル機器の便利さはしっかり取り入れ、音声信号のやり取りだけはあっさりアナログ信号で行なうMAスタジオが出現している。ミキシングコンソールのもユーフォニクスのように、設定はすべて記憶できるが信号の処理はすべてアナログで行なうコンソールが出現して普及し始めている。

 

デジタルミキシング機能を内蔵したDAWの登場

 DAWはあらゆるデジタル音声処理をするために内部にDSP(デジタルシグナルプロセッサ)を持っているが、プロツールズやフェアライトフェームのようにDSPの余力でデジタルミキシング機能をまかなった機種が登場している。DSPの能力に余裕がある場合、ミキシング機能は簡単に構成することができるが問題は操作である。コンピューター画面上に表示された仮想のミキシングコンソールのフェーダーやツマミをマウスやトラックボールで操作するのはあまりにも不便である。両者とも操作性を向上させるためのそれぞれコントロールデスクを登場させている。もちろんアナログコンソールと同様の機能は望めないがコンソールとDAWが一体化しているためシステムがコンパクトになる。又デジタルコンソールの場合に苦労したコンソールとDAW間の同期の問題から解放されている。

 

機能の積み重ねができるアナログシステム

 パーソナルコンピューターベースのDAWもコンピューター技術の発達によって一昔前までは考えられなかったほどのパーフォマンスを見せている。しかし大量の情報を扱わせると処理速度が急激に劣化する。デジタルシステムでは処理量がシステムの持つ最大処理能力(リソース)を越えることがないように絶えず気を配っておく必要がある。DAWの核となるDSP(デジタルシグナルプロセッサ)は基本的には演算処理装置なのであらゆるデジタル音声処理に共通して使用されている。バーチャルトラックのトラック数やエフェクト処理などDSPの負荷が一定量を越えると処理に時間が掛かり始める。大量処理をDAWにやらせた状態でタイムコードスレーブさせるとロックするまで数10秒かかってしまって、マルチレコーダーをスレーブロックさせる方がよっぽど早くロックするという皮肉な現象も一部には起きている。それに比べて従来のアナログコンソールを中心としたMAシステムはコミュニケーションやエフェクト、ミックス機能をカフシステムや外部のエフェクター、ミキシングコンソールに分散させているため処理が集中しても問題なく作業を行なうことができる。

 

ファイルの統一とネットワークへの対応が期待されるDAW

 DAWはハードディスクに音声データをファイルとして保存するが、そのファイルの形式はまちまちで互換性がない。又ネットワークに対応している機種が少ないようである。現在はファイル形式に互換性がないためMOディスクなどにバックアップをとっても他の機種で読みこむことはできない。又ネットワークに対応していないため音声データーをサーバーマシンで一括管理したり、各編集室のDAWのデータを共有化することができない。
 ネットワーク対応が可能であれば編集室のDAWで音源の仕込を、その音源を使ってMAスタジオで編集作業を即座に行うことができる。

 

二極化が予想されるMAスタジオ

 コンピューターやデジタル機器の発展はデジタル機器の大幅なコスト低減をもたらし、MA作業の作業方法を一変させる可能性がある。DAWが採用され始めた当所はDAW編集室を「おたく部屋」などとさげすんで呼んでいたこともあったのだがDAWの有効性が認められるにしたがってMAの中核機器として認識されるようになった。しかし機器がワンマンコントロールを前提として設計されているため、一般的な日本のMA作業には不都合なところもある。例えば、操作が一か所のキーボードからしか操作できないのでアシスタントエンジニアが操作できない、コミュニケーションの機能がないため結局外部にオーディオミキシングコンソールが必要となる、効果屋さんが操作するための音量操作の外部コントローラーがない、等が上げられます。一人のオペレーターの後ろに関係者が腕組みしてずらっと座りあれこれ指示して、オペレーターが必死にキーボードを操作している状況も見受けられる。特に日本のMAルームはコマーシャルフィルムのクライアントに対する試写室の機能も兼ね備えているケースがあることから、狭いDAW専用ルームではお客様に入ってもらうスペースがないと言う問題もある。
 結局ワンマンでできる編集作業や前段階の細かい編集作業はDAWルームでの編集作業に任せ、多人数による作業や、多人数による合議制で進めて行く作業、試写機能が求められる場合などのMAルームはコミュニケーション機能の充実したオーディオコンソールを中心とした構成が残り続けるだろう。

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