2002年スーパー・ファンファン・エンデューロ最終戦参戦記

 今回の日光のコースは初めて走るところで、東京からの所要時間が不明なので宇都宮のビジネスホテルにでも泊まろうと思っていました。ところが急用が出来て夕方に出発できなくなり、早朝出発に予定変更となりました。天気予報では「東京地方、夜半過ぎから雨が雪に変わり積雪が予想されます」としきりに警告しています。

 私のトランポには一応タイヤチェーンを積み込んでいますが、雪の高速道路では事故が多く閉鎖されることが多いようです。高速道路閉鎖の場合、受付時間に間に合わなくなる事態も予想されそうです。そこで午後十時に東京を出発しました。途中ゆっくりと食事をとったために現地に夜中の2時頃到着、雨はすっかり上がっていました。どうやら天気予報はちょっと大げさだったようです。車中にあるウエアというウエアを全部着込んでリクライニングシートを倒してエンジンはかけたままで眠りにつきました。

 朝起きてみて初めてコースの全容が判りました。コースは全体的にかなり重馬場(マディ)な様です。受付をすませ、前回のレースのゼッケンをはがし今回のゼッケン37番を張ります。前日にすましておけば良かったのですが朝から雨のためにさぼっていました。車検を受けて、朝食をとろうとすると、もうすぐライダーズミーティングが始まるとのアナウンス、「ころころになるほど着込んでいるので着替えに時間が掛かるだろう」との判断から朝食は後回しにして着替えを急ぐ。着替えてプロテクターを着けたところで集合のアナウンス、防寒着を引っかけて体操に参加、プロテクターが邪魔をしてストレッチがうまくいかない。でも体がほぐれる効果あり。ライダーズミーティングを終えトランポに戻って朝食を食べようとするとわかに便意が。こんな忙しい時に時にどうして? レースを始めた頃はレースの2日前ぐらいから便秘になっていたのに。私の消化器官も態度が随分でかくなってきたようです。

 さてレースの方は超マディなモトクロスコースと、木の根に神経を使う林間コースと、ゴロ石で体力を消耗させられるV字谷など変化に富むコースでした。今回は轍をなるべくさけて走行する作戦で行くことにしました。レースに参加し始めた時、轍の中しか走れなかったのですが、足をばたばたさせて走行する時にすごく体力を消耗するのとブーツに泥が付着して足が重くなり体力を消耗するからです。轍を走る場合は轍に沿って走らなければならず(当たり前か)左右にマシンを振って細かくコースを修正しなければならないので結構疲れるような気がします。
 最初はかなり調子が良く飛ばせました。林間コースのカーブは気持ちよく、右に左にバイクを傾けて飛ばしているとドスンと右胸に衝撃が!そして一瞬息ができなくなりました。どうやら右胸を思い切り木の枝にぶつけたようです。ブレストガードを付けていなければ肋骨の骨折間違いなしのところです。プロテクターはありがたいです。

 中盤以降疲労が蓄積し、よせばよいのに速い80に追いつこうと無理していたら林間コースに入るの右コーナーでリヤが左に降られマシンはコース右側にぶっ飛んでいって後続のライダーの行くえを塞ぐ形となってしまいました。「ズズズ」とモトクロタイヤがこすれ合う音がします。こりゃいかんと加速しますが、「ズズズ」が続いて私も後続のライダーもすってんころりんしてしまいました。「すみませーん!」と謝る後続ライダー。「いいのですよ。私の方が振られたのですから」と私。転んでも良い感じですね。

 これを機会に少しペースダウン、林間奥のコースが荒れて結構体力を消耗するので、走りやすいところは、はやる気持ちを抑えて体力温存を図ることにしました。でもマディのモトクロコースの方は割と乾き初め2時間を過ぎる頃には結構飛ばせるようになりました。ちょうど同じOpen Aにエントリーしているホライゾンチームがピットにいます。
 ホライゾンは昔、私がよくレースでお世話になった稲城のバイク屋さんです。そして横山氏は昔のチームメイトでした。何と10数年ぶりの再会です。 私は一人きりの参戦なのに彼らのピットはギャルが3人ほど応援に駆けつけていて華やいだ空気に包まれています。私はそれを横目に見ながらピット脇のストレートを全開でぶっ飛ばして行きます。

 二つ目の左コーナーを割と速い速度で抜けるとオーバースピードで前輪がスリップ、左ハンドルがズボッと泥に埋まります。「こーなると、グリップに泥が付いてハンドルをつかむのに力がいるんだよなー」と悔やみます。
 気を取り直して走り出すと今度は左のステップが戻らないのに気が付きました。走りながらブーツでステップを蹴飛ばしても戻りません。バイクから降りてステップに咬んだ泥をほじくり出しても戻りません。「女性が居るとすぐに調子に乗る。俺は何年これをやっとるんじゃー。ステップが戻らなかったらどうすんねん」と自責の念に駆られます。あとで聞いた話ですがステップを折ってしまった気の毒なライダーも居られたようですね。「神様、もう女性に惑わされませんからお助けください」と祈る様な気持ちでステップを蹴ること2回、祈りが通じたのかステップは元気よく飛び出しました。「おう、日頃の行いは正しくしておくものだ」と神様に感謝しつつ再スタート。

 林間コースを走っていくとセローのかわい子ちゃんがバイクを起こそうとしています。その脇を、私は離れて通り過ぎようとしたのにKDX125がご主人様の意思を無視してセローの方に寄って行き、絡み合ってひっくり返ってしまいました。我が愛車はレディーになんて事をするのでしょうか、セローの娘さんすみませんでした。

 林間の一番奥の左コーナー結構疲れました。轍の中を走っていくと途中に木の根がありタイヤが空転します。最初私は前輪を轍のアウト側に外して走りました。前後輪轍に入っている時よりスムースに回れそうです。轍が深くなった時は大きく外側にコースを変えました。しかし元のコースに戻る時、細い木が良いところに立ちふさがっています。木をよけるスタミナがないので、その木を抱きかかえるようにぶつかりながら強引に戻っていました。ふーっ。もう少し細かくライン取りができるようになりたいものです。

 エンデューロレースはコースが生き物のように変わるのが面白い。又、難所を1カ所越えるだけで、コースをまわる全エネルギーの3分の1を消費するのではないかと思う時もあります。そのような場合、老いた体にはスタミナ配分の計算が必要となります。気合いだけではどうにもならないところが良いところです。年配のベテランが若者と渡り合える数少ないスポーツではないでしょうか。

 さて体力を使い切ったところで3時間終了のチェッカーが振られレース終了。チェッカーが振られていても加速する元気もなく、静かにゴールイン。一人3時間はきついですが慣れてもきました。しかも今日は手応えがありました。あとは結果を待つのみです。

 結果は念願のOpenAクラス1位に。いつも1位をかっさらっていくYZ80サスのTTR125やCR80フレームのXR100などの強豪がいなかったのも幸いしたようです。又このような重馬場になると80クラスのモトクロッサーがパワーを食われて走りにくくなる事も追い風となったようです。私の隣でさかんにウィリーを繰り出していたのは3位の中島さんだったのですね。
 2位は何と横山氏のホライゾンチームが入っていました。昔のチームメイトがワン・ツーで入賞です。うれしいですね。この喜びを糧に来年も、いや、何十年もバイクを楽しみたいですね。老いぼれて腹上死ならぬコース上死にでもなるぐらい続けたいものです。

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