PAを手伝っているときに目撃した忘れ得ない出来事

1977〜8年の頃、私は小さな輸入商社を退職した後、暇をもてあましていたので、友人のPA会社のお手伝いをしていた。ちょうどそのころ、寺山修司率いる演劇集団「天井桟敷」の公演の音響の仕事が友人の会社に舞い込み、私はラッキーにも音響の助手として参加することができた。

公演の初日が近づいたある日、監督助手の友人らしき人物と監督助手が話しているのを小耳に挟んだ。

「どうだい進み具合は?」との質問に監督助手は「うーん、すべて順調だけど、バンドのドラムがちょっと心配なんだ」と言っているのが聞こえた。

そう言えば、今まで音響機器のセッティングと調整に忙殺されていて気が付かなかったのだが、言われてみるとドラムの音が何か変なのである。音楽はJ.Aシーザーが担当していて、彼のバンドのドラムは新人の若きドラマーが担当していた。

ドラムの音に張りがなく、「バタバタ」した音に聞こえるのである。本人は必死になって演奏しているのであるが、力めば力むほどよけいに音はバタバタして、悲壮なドラマーの形相とは裏腹に「こっけいな音」になってしまうのである。

彼の演奏を、皆が心配そうに眺めているのであるが、これだけはどうすることもできない。すると彼は公演直前に、彼の師匠らしき人物を代役として連れてきたのである。

師匠の出音と腕前は素晴らしく、交代するやいなや緊迫感のあるドラム・サウンドを鳴り響かせ、しかも数回のリハで完璧に演奏を自分のものにしていた。J.A.シーザーの迫力のサウンドが蘇り、おどろおどろしい寺山修司の舞台をいやがおうにも盛り立てていた。

私は、「プロ中のプロとはこういう人の事を言うのだなあ」と代役を務めた師匠のドラマーに感心した。

若きドラマーはすべての公演に立ち会い、師匠の演奏を見守っていた。

数日間の公演が終わり撤収作業を行っているとき、礼儀正しい言葉で師匠にさかんに感謝している若きドラマーの姿に気づいた。それに答えて師匠が「ドラムは力で叩くのではなく、手首のスナップを効かしてスピードで叩くんだよ」と言うような事をアドバイスしていたと思う。

若き弟子は真剣にうなずいて師匠のアドバイスを聞いていた。「おお美しき師弟愛!」と私は、思わず手を止めて、見とれていたものである。

私はプロの業を持った師匠にも感動したが、追いつめられた状況の中で自分のことだけを考えずに、代役を引っ張ってきて、公演の危機を回避した若きドラマーの姿勢にも感動した。

みんなの期待にかなう音が出せないと悟ったとき、彼は自分で判断を下し代役を引っ張ってきた。私はこのとき、自分のことだけを考えるのではなく、組織全体の目的を考えて行動することの大切さを学び取ったような気がする。また自分の力が及ばないと悟ったとき、あっさりそれをさらけ出す勇気をも学び取ることができた。

あの若かりしドラマーは今どこで何をしているのだろうか?ドラマーとして成功していなくても、何かの分野で大成しているのではないだろうか?

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