昔スペイン坂に「ココ」と言うスナックがあった

 1974年頃渋谷のスペイン坂に「ココ」と言う名のスナックがあった。当時はスペイン坂という名前も命名されておらず、渋谷にまだ一店舗しかなかったパルコに勤めている人達やパルコの裏手にあるラブホテルを利用する人達が通るだけの人通りの少ない裏道であった。その裏道には途中石段があってその石段をパルコ側から下りた左側にスナックが2軒だけひっそりと営業していた。1件はポルシェと言う名前で少し高級そうなお店、もう1件は「ココ」と言う名前の気さくな感じのお店であった。

 「ココ」のマスターは50代の小柄な人物で、ケンちゃんと呼ばれていた40代前半ぐらいの二枚目の相棒と店を切り回していた。良心的な価格のお店で、1000円以下で飲めることもあって、若い人達に人気の店であった。私は当時恵比寿にある電気工事会社の寮に入っていたので、渋谷の「ココ」には時々飲みに行っていた。行き出したきっかけは今となっては忘れてしまった。

 マスターは本当に心優しい人物で、若い人達の人生経験の少なさに起因する軽率な判断や思考を、やんわりと指摘してアドバイスしてくれた。あまりにも物言いがやさしかったので、血の気の盛んな若者達もマスターの言う事はすんなりと聞き入れていた。

 ある日、「ココ」を訪れたらよく三人連れで来る若者達が結構盛り上がっていて、私も少し話の輪に加わって楽しく飲む事ができた。私は寮に食事が用意されている事もあって、彼等を残して「ココ」を出た。

 2日後の外がまだ明るい速い時間帯に「ココ」に行くと、こないだ意気投合した若者が三人ではなくて二人で来ていて、なにやら深刻な顔をしてひそひそ話をしている。軽く会釈して「あれ今日はお二人ですか?」と話しかけると二人は一瞬顔を見合わせ、少し間をおいてから一人が「実はもう一人の友人は亡くなったのです」と切り出した。私は思わず「えーっ!冗談はなしでっせ」とすっとんきょうな声を張り上げた。

 「人が死んだというのに、その言い方はないでしょう!」と真剣な顔で抗議されて、私もどうやら事態は深刻で事実に他ならない事が理解できた。今まさに、葬儀にどのように参加して友人達にどのように連絡するかを相談している最中、との事であったのだ。

 私はあれだけ元気な友人がどうして突然亡くなったか不思議だったので尋ねてみた。彼らが説明してくれたのは以下のような出来事であった。

 私と出会ったその夜、三人は結構飲んで店を出たそうである。三人そろって店を出て階段の途中まで登ったところで生き残った二人が立ち話を始めた。その時残りの一人は階段の上まで登ってしまい、二人を待っていて一人ではしゃいでいたそうである。

 突然彼が「わーっ」と言って冗談で階段の上から二人のうちの一人に飛びかかってきたのである。飛びかかられた一人は無意識に体が動いて彼をよけたそうだ。人にぶつかる事を予想していた体制にあった彼は、支えるべき物体がなくなったために階段の途中から前方に転んでしまい石の階段を転がり落ちてしまったのだ。

 転げ落ちた速度がそう速くなかったので、起き上がってこない彼を見て、残った二人は「冗談で死んだふりをしている」と思ったそうだ。

 しかしすぐさま背筋に冷たい物を感じて駆け寄ってみると全く意識がなく、抱き寄せると後ろから血の付いた石が表れて、それですべてが判った、つまり彼は死んでしまったと。

 石段の下がフラットな道路であればば、すべて冗談で終わってしまったのだがそうではなかった。石段を下がったところは石段のおよそ右三分の一をふさぐ形で石塀が張り出して道路が狭くなっており、その塀の角の下には幅20cm高さ40cmぐらいの石が埋められていた。

 私もパルコ側から降りてくると、足を踏み外すとちょうどぶつかるようなところにあるので、「危ない石だなあ」と思っていた。「石段を転げ落ちてくる人が頭をぶつける可能性を想像する事ができないのかなあ」と以前からこの危ない石を設置した人について、思いを巡らせていた事もあった。転げ落ちた彼は不幸な事にこの石にもろに後頭部をぶつけてしまったのだ。

 飛びかかられた友人は「無意識に彼をよける事をしなければ、彼は助かったのではないか」と悔やまれて仕方がなかったそうである。

 私はこの話を聞いて、ほんのわずかな差が人生を終わらせてしまうと言う結末の重大さとはかなさについて、考えさせられた。

 「全く誰の責任でもない事柄でも重大な結果をもたらせてしまう。人生にはそのような落とし穴がいくつもあるから、気をつけて生きていく様に」と亡くなった彼は尊い命を犠牲にして、我々に教えてくれているような気がする。

 私は酒は余り飲まないが、危険な遊びは大好きだし羽目を外してはしゃぐのも大好きである。しかし、いつも紙一重のところで、助かっている事も多い。59歳まで生きながらえたのは、亡くなった彼が命を犠牲にして私に教えてくれた教訓のおかげであると、私は信じている。

 この文章を書いた後、久しぶりにスペイン坂を訪れた。石段は全く姿を消して、チョコレート色のコンクリートの階段になっていた。石塀や命を奪った石はすでになく、代わりに広告看板の基礎のコンクリートがあっただけであった。三十数年の歳月はあたりの風景をまるで別世界にした。寂しい裏通りは人通りが多く、まるで縁日のようににぎわっていた。しかしチョコレート色となった階段は、三十数年前と同じように危なっかしく私の目に映った。

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